土佐備長炭一 ブログ

知っていますか?土佐備長炭の「無形民俗文化財指定」について~平成19年、23年の話~

 |  | 

 高知県安芸市で土佐備長炭と薪の製造と販売をしている土佐備長炭一の近藤寿幸です。

 今回は土佐備長炭の「無形民俗文化財指定」についてのお話をします。また文章のみですが、最後まで読んでいただけると興味関心が湧いてくるのではないかと思います。

 「無形文化財」とは文化庁のホームページに以下のように説明されています。

演劇,音楽,工芸技術,その他の無形の文化的所産で我が国にとって歴史上または芸術上価値の高いものを「無形文化財」という。無形文化財は,人間の「わざ」そのものであり,具体的にはそのわざを体得した個人または個人の集団によって体現される。

 上記の内容から、備長炭は「無形文化財」に該当するのではないかと思っていましたが、間違いであったことが発覚しました。正確には「無形民俗文化財」に該当します。文化庁の説明は以下の通りです。

【民俗文化財とは衣食住,生業,信仰,年中行事等に関する風俗慣習,民俗芸能,民俗技術及びこれらに用いられる衣服,器具,家屋,その他の物件など人々が日常生活の中で生み出し,継承してきた有形・無形の伝承で人々の生活の推移を示すものである。
 ~中略~無形の民俗文化財では,指定されているもの以外の中から,特に記録作成などの必要のあるものについて選択し,必要に応じて国が記録を作成したり,地方公共団体の行う調査事業や記録作成の事業に助成を行っている。】

 紀州備長炭を例に挙げると、1974年(昭和49年)和歌山県の無形民俗文化財に指定され、現在も「紀州備長炭技術保存会」によって保持・技術の継承にあたられています。

 一方、土佐備長炭は2007年(平成19年9年)12月に土佐備長炭製炭技術を「高知県文化財指定」にしてほしいと詳細な資料を添えて高知県文化財審議会に申請しました。文化財課のその後の経過は、書類審査も進まず、現地調査も全くったくされないまま申請者に対して「却下」。失礼なものと感じざるを得なかった森本生長さんをはじめとする木炭振興会メンバー5名は、平成23年7月30日付けで生産者の側から申し入れをし、協議されたが下記二点の理由で再び「却下」されました。

【平成20年度第一回高知県文化財保護審議会議事録】より抜粋

~以上省略~

【経過説明】委員から指定の困難性について二点の課題提起があった。一点目は、民族の分野では近世以前を指定の対象。二点目は、紀州から入ってきた製炭技術を高知県の伝統的な技術とすることができるのか。

~中略~

「明治40年頃、和歌山県上南部村の植野さんによって、紀州備長炭の技術がもたらされた」、近代の先進地から導入された製炭技術であることがはっきりしているものを無形民俗文化財に指定することは無理があるとのご意見。

~中略~

【K委員】ようするに横くべの方式というのは、高知県独自の方式ということを認めて無形文化財に指定すつかどうかということか。紀州から伝わった縦くべ方式がそのまま伝わっているわけではなくて、一度それが廃れてしまって、その後「横くべ」の方式が新たに考え出されたが。これをどう評価するかということか。

【T委員】重層性の問題のとらえ方だが、基礎的に存在するものの上に新しいものが入ってくる。分かりやすいのは芸能関係。芸能の場合は、高知県といわず全国的に共通している踊りの流れである。それが高知県に入ってくると独特の変化をする。高知県で変化したものが江戸時代の末期とか明治初期ということで、時代分けをしなければならない場合もあるが、これは昔の伝統的な所作の上に新しい動作が加わってくる。

 備長炭の場合は、高知県で多く見られる芸能ような伝わり方ではなくて、室戸地域に限定的に始まったものでそれが部分的に、明治末期から大正以降、高知県のあちこちに伝わっている。その伝搬の仕方が、備長炭と芸能の場合を同一に考えるわけにはいかない。だから問題である。

【T委員】この問題の不思議なのは、室戸市が室戸市の文化財に指定しないということ。昨年申請書が出た段階で事務局に申し上げた。これだけ重ねて申請が出るのであれば、意見書が出る前に室戸市が文化財に指定しないのか。それが、私には解せない。

~中略~

【M課長補佐】意見書が出てくる前に室戸市でも議論したが、室戸市の指定の判断は出来ないということで意見レベルの検討をという話であった。室戸市にもう一度返すという方法ある。

~中略~

【M会長】(室戸市が)話をしても結論が出ないので県で判断してほしいのか。~中略~それを地元は、判断する力がないので県に判断してというのは不思議。

~中略~

【T委員】~中略~幅の広い指定の項目がない以上、現在の高知県の文化財保護条例の規定でいくとちょっと難しいのではないか。幅の広い指定がどんなものがあるのか調べていただいたのが、この資料。県の条例に幅の広い項目を作らなければなかなか難しい。だんだんと進化していくことに伴って備長炭のような様式のものが出てくるのかもしれない。

~中略~

【T委員】平成18年度 文化財保護法改正で、無形民俗文化財という項目が新たに対象になっている。~中略~高知県でも、明治からきたものを民族無形文化財に指定するには無理がある。保存会ができて、保存会を対象に指定ができるように高知県の条例はもう変わっている。県の条例が改正されているので、該当するものがあれば対象になるのですけれども。やはり備長炭は色々と問題があって。

【M会長】お話を聞くと、第二部会で検討するとしても、もう乗り気ではない。全体会でもうまいこといかない。そうなると指定物件の対象とすることが難しいのではないか。第二部会から疑問が出てきた幅の広いものに該当するものが、県には無い。ということを踏まえて室戸に一度戻したらどうか。室戸市がやるということになれば、それだけの道が開けてくるのかもしれない。

~中略~

【T委員】後から部会で話すが、原則として明治以降のものは対象としないということは、はっきりと伝えておいた方が。ちゃんと説明しておいていただいたらと思う。

~以下省略~

 当時、土佐備長炭の無形民族文化財指定の申請が却下された理由を改めて書き出すと

1・『歴史について』

民族の分野では近世以前を指定の対象。『江戸時代以前のものでないといけない』ということ。

2・『独自性について』

紀州から入ってきた製炭技術を高知県の伝統的な技術とすることができるのか。『土佐備長炭の横くべ技術には独自性がない』ということ

上記の2点について、申請資料を読んだ当時の私の見解は以下の通りです。

1・歴史

 ①平安時代から土佐白炭の歴史はあった。当時は、品質の良い炭が少なく品質の低い炭が多かった。

 ②紀州から伝わったのは技術ではなく、窯の構造(煙突)が改良されたことによって高品質な炭が多く製造できるようになった。

 ③高品質な炭が多く製造できるようになり、土佐白炭から土佐備長炭へと名称が変化していった。

 ④紀州の二番煎じであった為、安く買い叩かれ当時の生産者は生活が苦しかった。

2・独自性について

 1-④の課題をクリアした技術こそが土佐備長炭独自の技術である『横くべ』である。縦くべ約50〜60箱とすると横くべは約80〜120箱と高品質な炭が大量生産できるようになった。

 世界で初めて高品質な炭を大量生産可能にした『横くべ』が確立されたことによって生産者の生活も次第に安定してきた。

 このように、歴史と独自性については申請書類に明記されていた為、無形民族文化財に指定されてもおかしくはなかったのではないかと感じました。

 歴史については、近世以前のものでないといけないと決められているのだとしたら『歴史が浅い』と捉えられたのかもしれないが、紀州から伝わってきたのが明治40年頃なので、今から遡ると114年は経っているし申請時点でも101年は経っています。

 今、文化庁に『無形民族文化財指定の規定に近世(江戸時代)以前のものでないといけないと定められているのか』と確認の連絡を入れて返信待ちである。

 このような経緯とご縁があって、無形民族文化財指定について濵田知事にお話をする機会がありました。それが『再び濵田が来ました』です。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)